運命の味に出会うまで。Hinokiコラム Vol.2

こんにちは。Hinoki代表の藤田直樹です。
第1回目ではHinokiの調味料は、味を通じた表現です。というお話をさせていただきました。
波乱万丈ともいえる僕の半生が、この味を作るモチベーションにつながっています。少し長いですが、今からしばしその道のりをみなさまに共有させてください。
このままでいいのかとふと立ち止まったとき
僕の家は、お世辞にも裕福とは言えない家庭だった。父が会社の移籍で静岡に引っ越してから、生活は急に苦しくなった。給食費が払えない、部活にも行けない。学費も滞納している。あのときの悔しさは、今でも身体に残っている。
16歳になると、家計を支えるためにカラオケ店でアルバイトを始めた。高校2年になる頃、学校を休んでバイト先に向かう生活が多くなった。水道が止まり、近所の川で水を汲んだこともあった。
髪の毛を乾かそうと思ったら電気が止まっていて、しょうがないからガスコンロで熱を当てたら髪の毛がチリチリになるなんてアホなこともしていた…
市役所の窓口に「バイトの給料日に必ず払いますから開通させてください」と頭を下げに行くことも多かった。
身も心もボロボロになり、精神科に通った時期もあった。
だから高校は辞めた。(正確には学校を休みすぎて出席日数が足りなかった)
事情を知らない周りの人にはいろんなことを言われた。離れていく友人もいた。
でも後悔はなかった。

今必要なのは学業よりも仕事。そう言い聞かせて、飲食、水商売、工場、鳶……お金になる仕事はなんでもした。20時間働き通した日もたくさんあった。苦しかったけれど、不思議と嫌じゃなかった。どの現場にも、そこにしかない汗の匂いや、働く人の癖、道具の手触りがあって、その全部が僕の感覚に積みあがっていった。
でも、ふとしたとき「この職場で、このまま歳を重ねていくのか?」と疑問がよぎる。
人生一回しかないんだから、人生を賭けるようなものがどこかにあるはずだ、と。
脳が痺れる料理
そんな迷える10代だった僕がなぜ食の世界に飛び込んだのか。
子どもの頃から親戚に料理を出してお小遣いをもらったりすることが好きだった。バイト先も出来合いの食材を使わないカラオケボックス店で、キッチンにいることが楽しかったけど、本格的に料理の世界に飛び込もうとは思っていなかった。
しかし、今思えば、10代後半から少しずつ「味ってすごいな」と思う体験を僕は重ねていた。
バイト先のグルメな先輩たちに教えてもらったケーキ屋、ラーメン屋、おでん屋など、自分で稼いだお金で新しいものをちょっとずつ食べ歩いた。

初めてウィルキンソンの辛口ジンジャーエールを教えてもらった時の驚きは今でも忘れられない。その当時は瓶でしかなく、瓶といえば甘いジュースや炭酸が多い時代に、深緑の瓶を見て驚き、飲んでみて思わず「辛っ!!」と叫んだ。
「世の中には衝撃的な味ってあるんだな」と、もっと未知の味を知りたいと思った。
そんなとき、行きつけのケーキ屋さんで西堀高市(にしぼり たかし)さんに出会う。「親方は、静岡に西堀ありと言われるほどの割烹の名手なんだよ。」とパティシエさんに教えてもらった。
ケーキ屋さんに通っているうちにパティシエさんから「よかったら、親方のお店に行かない?」と誘われることに。
すぐ行ってみようと思ったもののコースは1人3万円〜。10代の僕にはとても高額だったけど、1ヶ月1万円貯めれば3ヶ月後には行けると思いコツコツと貯金をした。
そして、訪れることになった割烹 にし堀。
ケーキ屋で会うのんびりした姿とは真逆の、職人としての西堀さんがそこにいた。
「すげぇ」
食べた瞬間、世界が止まる。
脳が痺れた。
なんだこの味は。
身体の奧が震えた。
先付け、吸い物、お造り、焼き物、煮物、酢の物、〆のご飯から水菓子に至るまで、何を食べても感動する。
本物の料理を知った瞬間だった。
「また食べたい」
そんな思いを胸に、また割烹 にし堀へ行った。
そして気がついたら20歳に。若者なりに「一度しかない人生このままでいいのか」とふと立ち止まる瞬間が訪れた。
僕の頭の中には「料理」が浮かぶ。「西堀の親方のもとで料理を学ばなきゃダメだ。」
考えるより先に、身体がそう言っていた。
その後、僕は勇気を振り絞り弟子入りをお願いするつもりで西堀さんを訪ねた。
師匠はのんびりいつも通りパチンコを打っていたので、僕はその橫に座る。
(なぜか僕だけがフィーバーしてしまったのですが)
帰り際の立体駐車場で、
「今日は親方にお願いがあってきました。僕を弟子にしてください」
しかし、返ってきた言葉は衝撃だった。
「来月には店を閉める予定だから弟子を取るつもりはない」
...嘘だろ。
(僕だけフィーバーしたせいなのか...)
どうしても料理を学びたかった。だから何度も頭を下げた。
そして、あまりのしつこさについに師匠が根負けした。
「じゃあ、1か月だけ面倒を見てやる」
ただ、条件もあった。
「もし、俺がむいてないと思ったら、その時は潔く料理人は諦めろ」
そこから、僕の修業が始まった。僕が“食で表現する”という生き方に足を踏み入れたのは、まさにこの瞬間だった。
藤田 直樹 Naoki Fujita / Founder of Hinoki. Flavor Artist & Producer of local culture.
1989年生まれ。静岡県出身。17歳で高校中退。飲食業、工場勤務、鳶職などを経験したのち20歳のときに“割烹にし堀”の西堀高市親方に出会って啓発され、料理の道を志す。親方の指示に従って京都、宝塚で料理人としての経験を積み、“割烹にし堀”で4年間修業。にし堀廃棄に伴い上京して洋食レストランなどで働くが腰の故障で入院加療し料理の道を断念した。もともと興味があったファッションのイベントを通じて、斯界の重鎮として高名な干場義雅氏と第二の出会いを得る。氏の引き立てにより傘下に入り、氏が主宰するファション誌の編集などに携わった。しかし食への思い断ち難く2019年株式会社Hinokiを設立。理想の無添加調味料を追求している。2023年10⽉から総務省が実施する派遣制度「地域活性化起業⼈」として、群⾺県吾妻郡⾼⼭村にてHinokiのノウハウをいかし、⾷品加⼯所とカフェの運営⽀援業務を⾏う。





